「見せ物」としての生き方
昨日の「極上の月夜(げつよる)」みました?
普段、テレビ観ないんだけど、昨日はたまたま。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20061010et04.htm
http://www.youtube.com/watch?v=1sh6RzzMrcw
千手観音のパフォーマンス、しかもこれらの一糸乱れぬパフォーマンスを
聴覚障害の人たちがやっているっていうのをききました。
家族とも外部との関わり合いも禁じられ、
そのパフォーマンスに参加する前からも
聴覚障害によって、家族がバラバラになったり、
リコンしたりしている人達もいた。
いつか観た、「見せ物小屋」の話を思い出す。
それは映画エレファント・マンを題材にしたもので、
映画では単に
奇形の象人間=メリックが奇異の目にさらされ、
彼が心を痛めていることしか描かれていないけど、
その「見せ物小屋」の話は、
「見せ物」として生きていくことで、
いわゆる「異端」と呼ばれる人は生きていく糧を得ている。
という話でした。(元・遊気舎の後藤ひろひと作「じゃばら」)
その奇形とされる人を
「見せ物小屋」で見せるっていうことと人権に対する善し悪しは置いといて、
音楽やっている人も、役者やってる人も、モデルやってる人も、
お笑いやってる人も、
数学が得意な人も、
絵が得意な人も、
その「異端」となるものをもっているが故に、
そうすることでしか生きていけないんじゃないか、みたいな感覚。
「自分の個性を売って何が悪い?」みたいな描かれ方で、
その作品の中では、象人間=メリックは、嫌悪しながらも
舞台に立つことに喜びをさえ感じていた。
自分にはこういう生き方しかできない。
そう強く感じ、生きていくことを感じることが、
強さそして、美しさを生み出すのかもしれないなぁと思ったりして。
千手観音の子たちもそう。
だからこそ、すごく美しくて、一途で、まっすぐだった。
私には何ができるかなぁ。
まあ、とりあえず、こんな風にいろんなことを考えることぐらいしか、
私にはできないけど。
できれば、いや、せめて、
最高の「受け手」であり、「観客」でありたいと感じるのでした。
ずるい?
そういえばエレファント・マン。
私の好きだった人は、この映画を好きだと言っていたっけ。
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